今日は、協立病院の”レジェンド”の皆様をお招きして、インタビューを行いました。現在、水俣協立グループの50周年の記念誌を作成中です。(ちなみに、今年は厳密にいえば今年は51年目ですが・・・)記念誌作成にあたり、レジェンドのみなさま方からお話を伺いました。1974年(昭和49年)に水俣診療所が誕生した当時の水俣の様子、水俣病を取り巻く状況、水俣診療所設立のきっかけなど心に響くエピソードばかりでした。
現在、水俣協立グループに勤務する職員の多くは水俣病が深刻だった時代以降に生まれた世代です。だからこそ、私たち後輩職員は、先輩たちが休日も返上して懸命に検診活動を行い、水俣病の患者さんたちを救済してきた歴史を、しっかりと知っておく必要があります。その歩みは、私たちが受け継ぎ、後世に語り継いでいかなければならない大切なものだと思います。
当時、水俣保養院(現在の「海のみえるココロの病院」)に勤務されていた藤野先生は、外来で水俣病の患者さんを診察されていました。しかし、患者さんが殺到し、日常診療に支障をきたすほどの状況となり、外来では十分に対応できなくなってしまったそうです。その経験から藤野先生は診療所を開くことを考えられたとのこと。地域の患者さんを救うための大きな決断だったのだと思います。こうした1人ひとりの思いが、今の水俣協立グループの礎になっています。後世に残していく50周年記念誌、素敵なものができるように引き続き頑張って作りましょう!